古代ギリシャにあったイソノミアと日本のいさわのみや

いさわのみや

古代ギリシャに「イソノミア」という無支配社会があったと、今に伝わっています。「イソノミア」って何だったのでしょう。

「イソノミア」とは

wikipediaによれば以下のように書かれています。

イソノミアは古代にイオニアで発達した政体

近代になりドイツの哲学者が取り上げたことによって日本語訳され、様々な解釈がなされていますが、一番の特徴は「無支配」の社会だったということです。

ヘロドトス『歴史』に登場する「イソノミア」

紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスが語る、古代イオニアに存在した政体「イソノミア」とは、かの地域で跡形もなく消えて、夢の中にしか存在しないユートピアのように消えてしまったようです。

ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは「イソノミア」とは「無支配社会」だと解釈していたようです。民主主義はまだ人が作る理想社会の途上にある。なぜならばそこにはまだ主従が存在しているからです。”民主”となって一体だれを支配しようとしているのでしょう。戦後の日本はアメリカ流の社会となりそれを「戦後民主主義」といいます。

「人民の、人民による、人民のための政治」それは魅惑的な言葉です。でも、実際の社会はどうなっているのでしょう。「支配」をめぐる「覇権争い」に汲々としているのではないですか?そんな中でハンナ・アーレントは、「無支配社会」がかつて西洋にあったことを紹介したのです。その名が「イソノミア」。

そんな「イソノミア」の語源は日本の「いそのみや」にある、という。縄文日本には、支配することも、支配されることもない道が存在しました。

遺跡にみられる日本人のあり方

時は5500年前。三内丸山遺跡にみられる、縄文の人々の暮らしぶりから次のようなことが見えてきます。

弱いものを助け、分かち合い、資源をシェアして活かす。競わない工夫をする。和(やわ)する、輪になって話し合う車座の政体、持続する社会。祈りのある暮らし。

青森にある三内丸山遺跡は一大集落を形成していました。その中で、ヒトの埋葬場所やトイレなども発掘され、ヒトと死後のヒトとの関係性や、闘って争ってできた傷が骨に残されていないことなどがわかってきました。漆の技術などもすでに、現在の行程とさほど変わらぬほどのものが確立されていたようです。

そうした成熟した社会を縄文時代の日本人は営んでいました。古文書ではその様子を「神様」の視点でこう表現されています。

あしのねさ もとよりあらひ
いわねこも みなふしなひけ
おさむるは やよほにたれか
またあらん 『ホツマツタヱ』 ミオヤカミフナタマノアヤより

これは津軽の地を治めたオホナムチが自ら誉めて述べた言葉としています。
良い政治を行ったので、これほど豊かな世をあらわす人は何万年もおらぬだろう、と。神の自慢をたしなめたのは、オホナムチ自身の先御霊でした。

われあればこそ なんじその
おおよそになす いたわりそ  『ホツマツタヱ』 ミオヤカミフナタマノアヤより

オホナムチは出雲から津軽の地に国替えとなり日本列島を南から北の端まで豊かに治めた神さまということです。国津神として大国主神や諏訪の建御名方神の父としてホツマツタヱに登場します。三内丸山遺跡とオホナムチ。ご縁が深そうですね。もしかして、集落を治めた守(カミ)だったのかもしれません。

オオナムチが津軽に国替えとなった時代のスメラミコトは、アマテルカミの皇子オシホミミです。皇は体が弱かったので、代理として皇后の親である7代タカミムスビが政(まつりごこと)を執り行い、オオナムチを津軽に送り込んだのです。その意味では、当時の国の中心は東北にあったといえます。

そして、政を譲ったあとも伊勢にはアマテルカミがおいでになり、ゐせのみちのお守りくださっておりました。ゐせのみちとは、どのようなものなのでしょうか。

アマテルカミがまもる「ゐせのみち」とは

「ゐせ」とは「陰陽」「月日」「男女」「夫婦」の意味で、一般人の家庭の暮らしを説いたものが一つあります。参考:『ホツマツタヱ』13あや子が絶えず一家が末永く続くために多くの財を蓄えるなど、ヒトの嫉妬を買ってしまうと家を継ぐ子が生まれないなどのことが語られています。子が生まれない妻を打ち捨てるのではなく、外にお妾を持ったとしても妻に納得してもらわなければならないとか、妾を家に入れてはならないとか。この場合、ゐせのみちとは「夫婦の道」ということです。夫婦はどちらかが支配者で、どちらかが被支配者であるという関係はありません。それぞれが己が働きをまじめに為すという関係です。また、生きていく時にどうしても発生してしまう「欲」に溺れないでスズカ(きよらか)に生きる行き方を説いています。ゐせのみちが吹きわたり行き届いた国を伊勢といいます。

その伊勢にあってアマテルカミがおわすところを「いさわのみや」といいます。それがどこなのか。伊雑宮(いさわのみや)という説や志摩国一之宮伊射波神社(いざわじんじゃ)であるという説などあります。

伊勢神宮遥宮 伊雑宮(いさわのみや)

伊勢神宮の別宮である伊雑宮はイザワノミヤとかイゾウグウと呼ばれます。近年では日本ユダヤ同祖論などの影響があって、当社の社標などにダビデの星(六芒星)があるという情報がネットにもたくさん出回っていました。イザワ=イザヤであるとかね。

帝国主義の国からやってきたとある「神」が日本の本当に大切なものをとりに来ていただろうことは推測できます。そして、アモトに通じようとしているんだな、と。参考

ところで、地球に映したアモトであるかもしれない伊雑宮では、ちょっとした神秘体験をしました。参拝しようと宮に近づいた時、ふわっとした浮遊感に包まれたのです。うわ、ただ事ではないなと感じたことは確かです。ここは「どこでもドア」的な場所なんだなとその時思いました。

ただ、もし「どこでもドア」でアモトにつながったとして、一体、何ができるというのでしょうか。当時の筆者にはその先のプランは何もなかったのでした。ただ、「いさわのみや」のありかたが「イソノミア」として古代ギリシャに伝わったのだということは、さもありなんと理解できました。

日本の神は支配者ではなく、帝国主義も一蹴する成熟した社会をすでに築いていたのです。けれども、一度帝国主義を歩んでしまった人類のDNAはそう簡単に変化するものではなかったようで、今や、民主主義・共産主義の仮面をかぶった覇道が世界を支配しているようです。

もう一つの「ゐせのみち」は日本語五十音

「ゐせのみち」でアマテルカミが守っているもう一つの要素があります。アマテルカミが最後この世に映した天元(銀河、宇宙の元)の宮へ移り住まれたとき、五十鈴(50本目の真榊、スズキ暦の由来)が一人生えしたのを見て寿命を知ったということがありました。五十鈴は暦の元ともなっており、まつり事に欠かせない重要な要素です。アマテルカミが守られていたもう一つの「ゐせのみち」は、この五十鈴です。わが死の時期を読み取るのもそれでした。伊勢神宮が別名、五十鈴宮(いすずのみや)と由来でしょうか。

天元(あもと、銀河宇宙の中心)の相似形であるクニタマ(地球)、そして地球を司る時計は五十鈴に照応します。五十鈴とは当時の真榊であるとされますが、それも相似形だとみることができます。何の?イサナキ・イサナミが国づくりのために八州に広めた「ことば」がそれです。日本の言葉は母音の5音の列と、父韻「atkmhrnysw」の10列を掛け合わせた50音で成り立っています。そして、その50音は宇宙の50恒星と照応しているということです。母音と父韻の合体で子音が生まれるという図は、陰陽を説くゐせのみちと言えます。

”いそのみや”を復活させるには

人と人が階層の中で主従ではなく、支配もされない、支配もしないという関係性を保った社会は、行きやすいでしょうね。

では、階層についてはどうでしょうか。古代にも「神・君・臣・民・忌」という階層があったようです。ただ、それはそれぞれの働きであり、階層と階層の関係は飛び越えるということはなかったようです。国津神と天津神は、混血はあっても階層は階層でした。ただ、スサノオだけは、天津神から下民(忌)へ、下民から国津神へと階層移動した珍しい神様です。権力欲の強い臣などは、天皇の外戚として孫を「天皇(君)」に立てる道をつくりました。「欲」をかくと社会が複雑になります。階層で働きがわかれているために、複雑になるということでしょうか。ただ、宇宙の写しである地球の仕組みがそうなっているということなのです。

古代において功績を生した神々には讃え名がついています。というか、讃え名が名前になっている面もあります。「大国主」は大きな国づくりの礎となった神であり、「大国魂」は大国主と同じ神ですが、亡くなるときに国の魂だともっと讃えられたわけです。その神の性格は「すぐ」であり「まめ」でありました。上に素直であり、誠を尽くした神だったのです。財を貯めることを誇り、奢った父オオナムチを諭したのは、大国主神です。

階級と階層の違い

物ごとには必ず分類が生じます。「良い製品」「悪い製品」は数値化できます。「美しい姿勢」「悪い姿勢」も基準に合わせれば目に見えます。目に見えなくても「放射能濃度」の高低はあるし、電磁波といっても様々な周波数があります。世の中のすべてのものには「差」があります。人間にも個人差がありますよね。

その社会が成り立っていく途中にできてくるものに「階級」というものが存在した国も多く、今でも階級をもっている国もあります。日本では階級というものは撤廃されました。「士農工商」というあれです。日本は表向きはそうした階級がない社会です。階級というものは人が作る制度です。では階層はどうでしょう。

階層は人が作っているものではなく、宇宙の原理です。それが嫌だからと言って人間好みの階級社会をつくったり、階級の無い社会をつくったと言えるのかもしれませんが。そう意味においては階級社会に手を染めることは「すぐ」ではないし「まめ」とも言いかねます。宇宙法則に背いているかもしれません。でもやっぱり、一般のヒトであっても「できたひと」と「そうでない人」はいるものでしょう。それを階層付けする方法を見いだせないでいるだけです。

人間が作りえないものではあるが、階級化している仏教のシステムはどうでしょうか。阿羅漢とか菩薩とか如来とか。なかなかチャレンジャーですね。

復活すべきいそのみやってなんだ?

日本を乗っ取りたい勢力は、大昔から暗躍して、いろいろなものを日本から消滅させました。最近では、大家族制から核家族へシフトし、そこから個人主義へむかい、日本人の力の源である「結束力」を分断しました。戦争への贖罪意識を埋め込み誇りを奪いました。まじめに生産し為した財産を虚業で奪い取りました。それで、世界はどうなったかと言えば繰り返される天変地異、異常気象、新型コロナのような感染症のパンデミック戦争、情報戦争、北磁極移動、迫る氷河期、隕石落下、世界の富の80%を支配する1%の影の権力者は地球を捨てて火星へ?月へ?

たまりませんわ。日本が持っていた陰陽調和のチカラが封じ込められたことで、地球は危なくなっている。ならば、封印を解除しましょう。「すぐ」に「まめ」にはたらいて、天と地を開く宮柱をふと敷く立てましょう。

地球のバランスを立て直す家

したついわねにみやはしらふとしくたて
たかまのはらにちぎたかしりて 

そうしてアモト(宇宙の中心)と地球を開きつなぐことができるのだと『中臣祓い』は教えています。それを実際に施した家がBaba家の家の理想です。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

ページ上部へ戻る