シェルター化する日本の家は日本人の感性を鈍らせるかも!?

シェルター化

画像は、キプロスにある学校の柱頭です。この形はイオニア様式の柱頭で、紀元前6世紀ごろ小アジアの西海岸と周辺の島々からなるイオニア地方に移植したイオニア人による神殿なのど建築様式として後にギリシャ全土に広がりました。女性的な美しい柱頭ですよね。

哲学が生まれたイオニア地方の海辺

ギリシャ神話によるとイオニア人の祖は、イオンという神でアポロンの息子です。周辺諸国ではギリシャ人のことを「ヤワン」「イオーナ」「イヴァーナ」「ヒャン」などと呼び、その語源はイオニア人のことだといいます。最初にペルシャ人が接触したギリシャ人がイオニア人でそれが広がったのです。

イオニアは世界にとってギリシャの元だったとも言えます。ソクラテス以前の自然哲学者の多くがイオニアの海辺の出身でした。「タレス」「ヘラクレイトス」「ピタゴラス」はイオニア地方の島々で生まれたのです。

イオニアの歴史

・前1200年ごろには本土から移住をはじめ耕作がはじまりました。
・前9世紀後半にはフェニキア語からギリシャ語を作りました。アルファベットの始まりです。
・前8世紀初め ホメロスによる『イーリアス』『オデュッセイア』が成立。叙情詩という文学を生み出したことで人間を深く洞察する哲学が生まれる基礎ができました。
・前7世紀末 ギリシャとペルシャなどオリエント文化の十字路で交易盛んなミレトスに、ギリシャ7賢人の一人で最初の哲学者、イオニア学派開祖タレス誕生。万物は水より出ると説き、日食を予言したり、ピラミッドの高さを測定しました。
・前5世紀 イオニア人の歴史家ヘロドトス誕生

【古代イオニアにあった、理想とされる社会イソノミア】
ヘロドトス『歴史』のなかに見られ、ハンナ・アーレントなどが触れていたノールール「無支配」政体のこと。民主主義が始まるはるか昔にそのような社会が出現していたと語られています。民主主義は「民主」であり、主従関係の片りんが見られますがイソノミアにはそれがない。

日本にある”イソノミア”

西洋文明の発祥地と言われるギリシャの中でも文明度の高いイオニア地方の人々が築いていた政治の在り方の名が「イソノミア」です。

「いそのみや」が『ホツマツタヱ』に登場したのは、天照大御神在位中のことです。当時のタカマ(政治中枢)は伊勢の”いそのみや”にあったのです。

天照大御神は8代アマカミということで、その5世孫が神武天皇です。神武天皇成立が紀元前660年とされていますし、現在よりアマカミの寿命は長いようですから少なく見積もってもイオニア人の発生よりはずっと昔と考えられます。

西方の王母が日本留学していた記述もあり、アジアに日本の政治や文化のあり方が伝わったのだとも考えられます。そして、中央アジアから地中海地方へと伝播したのかもしれません。日本にあったタカマが「世界政府」であったかどうかは別として、「日本のタカマ・いそのみや」の在り方が、海や陸から伝播したという見方には納得できます。

内陸地ではなく、日本と同じように海に囲まれた土地であったことが”イソノミア”を築くために良い環境であったと考えられます。

気候・土地が人に与える影響力

日本人が繊細な感性を持っていたり、勤勉であるのは「四季」があるからともいわれます。四季があるから、忙しく衣替えをしなくてはならないし、稲を育てるために、田を耕し、水を張り、稲を植えて、害虫から稲を守り、草を取り除き、稲を刈り、脱穀して・・・というように、暦に従ってきっちりと、そして非常に手間がかかる耕作をすることが必要でしたから。

また、四季折々の美しい景色を眺めては繊細な色彩感覚や、味覚などが磨かれたと研究者は口々に語ります。四季がある事で森林資源がよく育ち、太古の昔から木で社を建てました。一方で地震や台風のような天変地異も起きる国です。ある時あらゆるものを「ゼロ」にしてしまうこともよく起きました。こういう土地柄の中で、「リセットする」「イノベーションする」「白紙に戻す」こと、そしてその中から再興していく潔さ、たくましさと粘り強さを身に着けていきました。そんな中でつくられた家は堅牢さを求めた「木組み」と外と内を一体化させ、自由に空間を変えられる建具を発達させました。

一方で、トルコに近いイオニアあたり、神殿などは大理石で造られていました。木が育っていなかったからです。たしかにトルコの隣、現在のアルメニアでも石造りの家ばかりでした。黒曜石の産地でもあり、実際にごつごつした岩肌と延々とどこまでも広がる灌木の大地に圧倒されました。地球造形の歴史を見る思いがしたのもです。

石で積まれた壁にカンタンなつくりの屋根がかかっているという家であり、大工さんというよりは石工さんが造る家です。

石造りの家は自然や外敵から身を守るシェルター

三匹の子豚「ぶーふーうー」のお話はご存知でしょうか。オオカミに襲われた三匹の子豚がオオカミから身を守るために三者三様の家を作り、木で家を建てた子豚たちは食われてしまい、石で家を造った子豚だけが助かったというお話です。アルメニアの家は「うー」の家と言えます。昔の日本の家はまさしく「ぶー」の家なのです。「ぶーふーうー」のお話では「ぶー」はちょぴりその場限りの取って付けの浅はかな家を建てて、「うー」は最強に賢い弟豚のように表現されていたと思います。でも、「ぶー」はいつでも浅はかで、「うー」は絶対的に賢いのだとも言えない面があります。

アルメニアのような国では、日本の神社にあるような太い木は育っていないように見えました。その代わりに岩や石は、近くでたくさん採れるのです。国によってはもっとも身近な材料である石や泥を家造りに使うことは普通のことなのです。

石の家というのは頑丈で、大きな地震でも来ない限りは構造体は生き残ります。石の家にいると外の雨、風、人の気配とか自然の営みというものからは遮断されます。だから、気候に左右されにくく防犯上も比較的安全です。シェルターとしての働きを強く持っているのです。

オオカミが三匹の子豚を襲ってくるという「外敵との対決姿勢」は、自然の脅威、民族の大移動などへ対処する必要がある土地柄の物語といえると思います。

木造りの家は自然と一体化し、輪廻する仮の宿り

木の家は構造体として使えば粘り強さもあるのですが木組みが必要になります。簡単に手に入る材料で、地震や台風に対処しなければなりませんから、複雑な組み・仕舞いを発達させました。木や萱でつくった家では内部にかまどを持っていて、災害にあえばすぐに焼失してしまったでしょう。簡易な壁からは雨音、風に揺れる木の葉の音や小川のせせらぎが聞こえ、外を見れば四季折々に赤くなり、緑になりとても美しい自然を称えずにはいられません。四季のある土地の住人の在り方は、自分もまた自然のようでありたい、輪廻のなかで美しくありたいというものだったのでしょう。

古い神社を訪れると昔の暮らし方を回帰できたります。
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大地から家がうまれ、人の気質をはぐくむ

石の家に住めば、家はシェルターで「外部の驚異から身を守るもの」。
木の家にめば、家は自然と一体化する機能であり「外部と内部は一体化するもの」。

大地の産物が家の材料になり、大地が作った家の在り方がそこに住む人をつくるということがよくわかります。日本人は自然と対立するのではなく融合を望むようです。日本の家は火事に弱く、皮膜としては薄く頑強には見えない家ですが、繊細さをはぐくむ家ではあったでしょう。

循環する持続可能な家づくり

古代イオニアで行われていてた「無支配社会」である「イソノミア」の語源・いそのみや の源である伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮というしきたりを持っています。持統天皇の御代に第一回が行われ実に1300年以上も続く長い歴史を今も引き継いでいます。

式年遷宮のいわれは不明ですが、20年ごとに行うことによって、宮造営の神ながらの技術伝承、200年かけて育てる宮造営用の檜、遷宮後解体した材料はほかの神社に下賜され無駄になることがないという循環性などのしくみが整っています。1万年もつづいた縄文時代に日本人がつくった持続可能な社会の一端を垣間見る思いです。

日本人にとって家は敵に対抗するシェルターではありません。日本の私たちにとって、家は人と人、人と自然が融合する機能です。外部と内部、自然と人、他者と自分、男と女、陰と陽、天と地、天体と地球、父韻と母音・・・あらゆる反対の概念と融合する家づくり。これが日本の家づくりの原点なのだと思います。「支配・非支配がないイソノミア」の元のいそのみや はその象徴です。

シェルター化する日本の家

近年、国交省が進めている高気密高断熱住宅のコンセプトは、一言でいえば「エコ住宅化」です。化石資源を使わない家、自然エネルギー利用が進められ、ゼロエネルギー住宅を目指しているのです。それは、外部の気候に左右されない「うー」の家に近づいているということです。窓は極力小さくし、エネルギーロスを防ぎます。プライバシーや個人情報が保護された家と言えますが、人との関係をつむいていくためには意識的に仕掛けをつくる必要があります。

古代イオニアは、世界との交易地点であったことから文学を生み哲学を生み出しました。混とんとした中から秩序を取り戻そうと人は何かを洞察することを迫られるのでしょう。

昭和ごろまでの日本も自然と人間は一体化していて、外と中はいつでも交流でき、そんなコンプレックスの中から感性を磨いたといえます。閉じた世界にこもらないで「交流」することが人間の進化にとって、とても大事なのですね。新型コロナパンデミックで外出自粛のような環境となったときには、リモート興隆が盛んにおこなわれるようになりましたが、交流の在り方もこうして変化していくものですね。

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