【上棟式】昭和まで続いていたならわしの原点は古文書の”お宮づくり”にあった

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古神道は「祓いで始まり祓いに終わる」というくらい「ゼロ地点」に存在することを徹底しています。そして、日本人の規範は日常生活の中に浸透しています。昭和の後半ごろまでどの家でも行ってきた年中行事や、ならわしというものがいい例です。門松を飾り鏡餅をかざるとか、節分の豆まきとかです。決して理念や概念やイメージだけではなくて日常の暮らしに色濃く生かされてきたのが日本という国です。戦後手放してしまったものも多いわけですが。

『ホツマツタヱ』という古文書について

『ホツマツタヱ』は1966年神田の古書店で写本が発見された、記紀原書と言われる書物です。独特のヲシテ文字による10700行の五七からなる書物です。ご縁を得て筆者は2014年頃から読み始め、これを杖にして1,000か所以上の神社・境内社巡りをしてしまったほど、興味深い内容が満載で驚くことだらけでした。

宮づくり則についてもこの『ホツマツタヱ』に詳しく記されており、この場で解読を試みたいと思います。当時の宮づくりに込められた願いが、今の住宅や空間づくりに生かせるのではないかと思うからです。そういうわけで早速『ホツマツタヱ』を紐解いていきます。

『ホツマツタヱ』にある宮づくり則の成り立ち

天孫ニニキネは「すめみまご」とか「あめみまご」と呼ばれアマテルカミの孫としてその手元で育ちました。父オシホミミは体が弱く、ヒタカミ(東北)で政治を、第7代タカミムスビに代理させており、兄ホノアカリが父のもとで、弟ニニキネがアマテルカミの元で育てられたのです。当時、次代を担う皇子たちは任務に忙しい父天皇に変わり祖父が男子を養育したようです。アマテルカミ(ホツマツタヱでは男子)も東の君(皇)である祖父の豊受神の元で育てられました。

当時八重垣の臣(大物主)の治める出雲ではソサノヲ命の威光をうけて繁栄の国を築き大社を立てていました。それを見たニニキネ命が独立し初の宮をつくるその時に、国の発展に大いに役立つものと考え、当時の大物主であったソサノヲ命の孫に宮つくり則を「ふとまに」に組み入れるべく依頼したのでした。※大物主とは八重垣の臣のことで、国防とか警察、裁判を担うような任務のことです。ソサノヲ命が八重垣旗の下賜をうけてから代々出雲の守が担っていました。

出雲にある大社の威容は後にアマノコヤネ命によって、大祓祝詞に組み入れられます。

神さまの家づくりのしきたり

①まず、お宮用の植樹をします。
②良き日取り(キノヱ・子)に斧を入れて木を伐採します。
③良き日取り(ミズノエ・午)に礎をつくり柱を立てます。
④中柱を立て隅の柱を南⇒北⇒東⇒西の順に立てます。
⑤柱の立ち方によって、外界の人々の様子を知るための門の位置を決めます。
⑥棟上げはヒノエ・子に祝います。
陽と12月に合計十三膳と、アモト八神に八膳、そして餅を366個と弓矢を棟に据えます。
柱には五座(ゐくら)の五膳と、六臓(むわた)とトシノリタマメ神への七膳を祀ります。(膳ではなく柏手を打つという解釈もあります)
一晩皆で酒を汲みかわし、幸をふり、棟と柱根に槌を打ちます。
その時に匠は、ムの印を結び祝詞をあげます。「天地に開く家に神あれば、災いは遠のき、家の主は長生きをする(あめつちの ひらくむろやの かみあれは ゑやはよわかれ ぬしはなかかれ)」三度唱えた後餅投げをします。

古代の風習を踏襲している昭和の棟上げ式

古代の棟上げ式の様子は、昭和の棟上げ式を彷彿とさせます。現在、上棟式は少なくなってきていますけれども、住宅建築の工程の中ではおおきな節目のお祝いをしていました。工事関係者には施主からお祝儀が配られました。

実家の建て増しの時の棟上げの日は、地域の男衆が集まってきて手伝いをしました。当時はバケツやらなんやら日常品の様々な道具を引き出物としてお祝儀に変えていたと思います。昭和40年ごろのことです。でもまさか、10代目アマカミ様の時代に取り決められていたこととは知りませんでした。餅投げも当時のころから「みやつくり則」にしたためられたことだったわけです。令和時代の今でも地鎮祭はほとんどの新築住宅でなされますけれども、上棟式は姿を消しております。

この宮建築法により国と民に幸運と繁栄と安泰を招き入れたソサノヲの孫で大物主のクシヒコさんは、これを称えられてオオクニヌシの名を賜ったのでした。

大黒柱の意味

古代の棟上げ式では、「棟」と「柱」にその家に幸多きことを予祝しました。餅やお膳を供えて一晩中酒を酌み交わしたようです。棟を天に開き、柱根を大地にしっかりと開くことで、禍は遠ざかり、病気もなく家主は長生きして、幸わうのだとしています。天に開き、大地に開く柱を大黒柱と呼び、日本家屋に長らく存在していました。

戦後建築様式は変わっていきました。戦後、ライフスタイルが一変してしまったこと、家族の形態が核家族化した事、その延長で単身世帯が増え続けていること。いまでは大黒柱が存在する新しい家は殆ど消失してしまったのではないでしょうか。Babaはこれを大きな問題ととらえています。「天地に開く柱」が、家には必要です。ブログのファビコンに使用している「柱頭」はイオニア様式の柱頭です。古代のイオニアは「イソノミア」という社会を作っていたとされます。日本とは文化交流があったとも考えられます。
参考ページ

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