古代祭祀の現代版ー人生を切り開く”令和的”神棚づくりで福を呼ぶ

令和的祭祀

お神札はいろいろな効果をもたらします。お神札があることでかしわ手を打ったり、いのったりというように人の行動が変わります。行動が変わると人の意識は知らず知らずのうちに変わります。意識が変わると立場や運命が変わります。

意識やマインドを変えることってなかなか大変だという経験はありませんか?心の癖って結構しつこいです。でも、形や行動から変えることで運命が一夜にして変わることもありうるというのが、日本に古くからあるかんながら(惟神)の道だといわれています。

日本人なら一度は見たことがあるだろうお神札というツール。なぜいいんだかよくわからないけれども、それを活かす行動から始めてみませんか?これまでの常識にとらわれない令和的開運スタイルとしてのお神札活用法を知って、令和スタイルの神棚を取り付けたいと思います。さて、どんな神棚にしようかな?

神祀りのしきたりに込められた古代からのメッセージ

「お神札は神様の依り代、神棚は神社」とよく言われます。神社庁では神棚のことを「宮形(お宮のレプリカ)」と言いますし、伝統的な宮大工がつくる神棚は、平入神明造とか妻入り大社造りなど神社形式にのっとって職人によって丁寧に作り上げられています。神社そのもののいでたちは、見るからに厳かでステキですよね!そのような宮形は、神棚販売者によれば家庭用と事業用があり、事業用でも大企業と中小企業ではすすめる大きさも異なるのだといわれたりもします。

ですが、令和となったこの時代に宮形や大小は家庭の神棚においてどれほどの意味があるものでしょうか。
「成功者は神社に参拝し、家に神棚がある」と言われていますが、実際どれほどの効果が上がるのでしょうか。

神棚が”小さい神社”だった昭和まで

昭和までの神棚は、家にある小さい神社、という位置づけでした。私の実家なども、神社にお参りするように、家の神棚にお参りするというスタイルでした。とすると神社の機能を神棚はそなえていなければならないのですね。

神社はもともと「君とか宮様」が政(まつりごと)を行うお宮であり、建物の機能として最大のモノは「防災防犯シェルター」です。防ぐべきものは、雨風や地震、火事、外敵のみならず怨霊、生霊、呪詛など、あらゆるものから”祭祀”をまもるシェルターでなければなりません。さらに、そこではクニタミがつつがなく暮らしているかどうかのありさまを感知する「センサー」の働きもあります。民の幸せのために政を行う場の建物としてはシェルターでありセンサーである必要があり、神社社殿の構造は鴫居(しきい)や鴨居(かもい)の一つとってもすべて意味があるものです。このお宮が神社のもとです。

そのような神社にお願いを申し上げて”願いを叶えたまえ”と陳情に伺い拝むという立ち位置が昭和までのお参りでした。けれども、神棚を祀る文化を、戦後一気に失いつつありました。けれども「成功者は神棚を祀っている」ということがわかってきて復活の兆しを見せている現在です。

”祭壇”として機能する令和の神棚

令和の時代となった今神まつりも変化しています。インターネットで世界中とつながりSNSで個人の発言力が増し、AIなど先端技術で情報量と仕事のスピードは50年前とは比べ物にならないほどに成長しています。もちろん、そのような先進科学の真っただ中にありながらも、2,000年以上の伝統がいまも息づいているのが日本のいいところであり、「本質」を外さない姿勢が為せる統合力なのかと思いますね。そういう意味で本質をはずさない、昭和とは異なる神まつりが一般に登場していることにはうなづけます。

令和という時代は「麗しき和合」であり言いかえれば「神と同期する」ということです。そのスタイルこそが新らしい時代にふさわしいと考えます。神社にいって神主さんにお祓いをしてもらう”受動的スタイル”ではなく、”自分主導スタイル”が令和的です。神社に行って拝むのではなく、ありのままの自分として宣言をする、というスタイルが令和の時代の神様との関係になる兆しが見えはじめています。

具体的にはどういうことでしょう。「神棚は小さな神社ではなく祭壇」ということです。神主をつとめるのは自分ということになります。とすると、神棚は、べつに神社のような形をしていなくてもよく、家自体が神社というとらえ方もできます。これからは本当の意味で祭壇として機能する神棚がよいということです。

けれども・・・、ずぼらな自分が神主となり家の神まつりを行うなんてできるのかしらん。という不安が頭をよぎります。いったいどんな神棚機能やどんな神具などが必要なのでしょうか。現在の祭壇に何が置かれているかを調べてみました。

今も行っている地鎮祭の祭壇はどうなっている?

現在でもよくおこなわれている地鎮祭とは、家などの建物を建てる時に工事中の安全と家族の弥栄をいのる「とこしずめ」の神祭りです。この地鎮祭では、移動式祭壇の神まつりの名ごりをのこしていますので、そのときの祭壇のつくり方を参考にしみていきます。

地鎮祭に用意するものは以下です。
■祭壇の周囲四方に斎竹を立てる。祭壇は北を背に南向き。
■東北の斎竹からしめ縄を四方に巡らせて囲み、紙垂(しで)をたらす
■祭壇の真ん中最上部に神籬(ひもろぎ)大幣
■供物は、洗米一合、海の幸(尾頭付きの鯛など)、酒1升、山の幸(果物)、野の幸(根菜と地上になるもの)、塩一合、水一合、海藻やするめ
■斎砂(いみずな、バケツ3杯ほどを円錐状に盛る)
■鋤(すき)、鍬(くわ)、鎌(かま)で斎砂の穿ち初め(うがちぞめ)、刈り初めの儀式をおこなう
■玉串

まず神聖な場所をつくるために祭壇の周囲にしめ縄を張り巡らせます。以前は土地全体にしめ縄を張ったものですが、現在は祭壇周りだけを囲うことも増えているようです。地鎮祭特有のお道具として斎砂や鋤・鍬・鎌のようなものが用意されることもあります。お供え物は撤饌(てっせん)として皆で分かち合います。お酒を酌み交わし、するめを手で裂いていただいておりました。衛生上の理由からか、現在はするめはない場合が多いようです。

地鎮祭の流れ
1.修祓の儀(しゅばつのぎ)/神職が祓え詞をとなえ、場を祓う
2.降神の儀(こうしんのぎ)/神職が神様を祭壇にお迎えする
3.献選(けんせん)/お供え物を献ずる
4.祝詞奏上(のりとそうじょう)/神職がとこしずめの祝詞をあげる
5.切り幣散米(きりぬささんまい)/神職が土地を清める
6.地鎮の儀(じちんのぎ)/その土地で初めて草を刈り、土を起こし(穿ち)、土均しの儀式を行った後、神職が鎮めものを納める
7.玉串奉奠(たまぐしほうてん)/建築主と家族がそれぞれ玉串(榊に紙垂をとりつけたもの)を捧げる
8.撤饌(てっせん)/神職が供え物を下げる
9.昇神の儀(しょうしんのぎ)/神様におもどりいたくだく
10.閉式の辞

式次第は、通常神社などで行われるものと基本的には変わりありません。祝詞の内容が”とこしずめ”専用のモノになっています。

こんな風に見てくると、祭壇や手順を毎日家庭で行うことなんて、なかなか難しくないですか?もっと、なんというか、本質だけ押さえてもっとカンタンにできないものでしょうか。本質を知るにはそのならわしをつくった「元」に還ることです。古代の神まつりはどうだったのでしょうか。

ならわしの本質をかたる古代の祭壇

もっとも古い祭壇のようすが、「天岩戸開き神話(あまのいとびらきしんわ)」の中に見られます。

■天岩戸開き(あまのいわどびらき)のまつり
時の皇であるアマテルカミの弟スサノオが暴れまわり、世の中の善悪も分からぬ混沌が広がっては困ると、岩戸に隠れられたアマテルカミ。しかし世の中が真っ暗になり神々は困り果てました。早く外に出ていただくよう、オモイカネを中心に八百万の神々を集めに集め、図りに図って神まつりを行いました。ツワモノヌシが「真榊の上部に玉、中段にマフツの鏡、下にはニギテをかけて祈りましょう」といい、アメノウズメらに「カズラの襷(たすき)に、茅(ち)を巻いた矛(ほこ)」を持たせ、オケラ庭火を焚き、笹の湯をたて、岩戸のそとで神憑り(神託)を行いました。(『ホツマツタヱ』7あや)

これこそ、神祭りの始まりではないかという記述です。祈り手が使う道具は、真榊(まさかき)、玉、マフツの鏡と幣(にぎて)です。そうして、お神楽を奉納すると、アマテルカミは岩戸からお出ましになったのです。今も神社で行われる「湯立神事(ゆだてしんじ)」の原型もここに見られます。茅の輪くぐりは大祓神事の際に行われることであり、天の岩戸開きの際に念には念を入れて祓いを行い、神が降臨する神坐を浄化している様子がうかがえます。
玉は「鎮魂(ちんこん)」の象徴であり、五魂が統合した「和」のこころをしめしています。マフツの鏡は「本性を映すもの」もの、ニギテは「神意」です。

神まつりに必ず登場する「かかん のん てん」とは

もう一つ参考になる記述として『ホツマツタヱ』にあるご神事の場面を再現してみましょう。それは古代、天照大御神が多くの大臣や民の前にお出ましになりお話しされる前に行われたご神事のようすです。

■神降ろしの室礼(しつらい)
クシマドが日のシマを守る
イワマドが月のシマを守る
イクシマ・タルシマは四方の御垣守(みかきもり)
イカスリは内裏の鬼やらいをして神坐(かみくら)を整える
■世継ぎが家々に生まれるよう願うご神事の内容
1.カカンノンテン役を揃える
2.左の臣、谷のサクラウチが「ミヨの桜のならしうた」を詠う
3.右の臣、オオヤマカクツミ「トキシク香久の祝い唄」を詠う
4.ココトムスビが「カカン」為す
5.その息子が御柱を、世継ぎ御座に「ミテ」むすびして、アメミオヤノカミをまねき請う
6.ヲヲモノヌシが「ノン」為す
7.その息子がユフハナに取り付けた八色にぎてに移るよう神にすすむ
8.ヒトコトヌシが「テン」為して
9.その息子が幣紙垂で四十九のユフハナに子の実をつける
10.諸人は「アクリ」を貰おうと拝む
(『ホツマツタヱ』14アヤより)

この様子は現在の御祈祷に少し似ています。ただ、形式だけではなく本当の意味で「かかん のん てん」が行われたのでしょう。けれども「かかん のん てん」っていったい何でしょう?
それを探るために「かかん」役のココトムスビ、「のん」役のヲヲモノヌシ、「てん」役のヒトコトヌシのことを知ることで「かかん のん てん」が何を意味しているのかについて理解を深めることができます。それぞれ現在では神となって祀られていますが、どんな御神徳をお持ちなのでしょうか。

・ココトムスビ
『ホツマツタヱ』には、バケモノや悪人が善良な人として生まれ変わる「タマガエシ」の術を完成させたのでアマテルカミにより「ココストの道を結ぶ」ココトムスビの名を賜ったとあります。”ココト”とは言葉、”ムスビ”とは神の力を宿らせることですから、言葉の呪力を完成させた神様ということになります。奥様は、コトノマチヒメといって、やはり「言葉のままに現実を表す」御神徳をおもちです。子であるアマノコヤネノミコトは「大祓祝詞」をつくった神として春日大社などに御鎮座する神様です。ココトムスビノカミは言霊の神と言えますが、この方が「かかん」を担当しました。
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住吉大社の境内に興台産霊神が祀られていますが、御神徳に「鈴なり」というものがあります。これはお神楽鈴(かぐらすず)のことで、それを鳴らす神であるとされるのです。神楽鈴は巫女さんたちがもって、舞に合わせて振るのですが「神様がお出ましになった」ことを知らせるために鈴は鳴るのです。
「かかん」と「鈴なり」は同じことだと考えられます。鈴は玉です。玉を振って音がはじけ飛びます。言霊が宇宙の核から飛び出すさまをそのまま鈴で顕したのだということです。
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ココトムスビを祀る神社
〇仲村神社(なかむらじんじゃ)
御祭神/己々都牟須比命(こことむすびのみこと)
所在地/大阪府東大阪市菱江2丁目
〇住吉大社 児安社
御祭神/興台産霊神(こことむすびのかみ)
御神徳/鈴なり
住所/大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89

・ヲヲモノヌシ(2代目)
ヲヲモノヌシとは、役職の名です。司法、行政、軍事などをつかさどる部署の長です。スサノオノミコトが八重垣の臣としてタカマに復帰してから、その子孫が役職を継いでいます。この場面に登場した2代目ヲヲモノヌシとは、もともとは初代ヲヲモノヌシの補佐として事代主(ことしろぬし)と呼ばれた神です。事代主とは託宣を受けるという意味があります。この神が「のん」を担当しているところから、神の言葉を通訳するという御神徳が伝わっているのかもしれません。詔(みことのり)の「のり」は「のん」です。

ヲヲモノヌシを祀る神社
〇大神神社(おおみわじんじゃ)
御祭神/大物主大神
所在地/奈良県桜井市三輪1422

・ヒトコトヌシ
現在伝わっている御神徳は「一言でお願いしたことは叶う」というものです。言葉が関係している神であることには違いないでしょう。「かかん のん てん」の流れから、神の言葉を一言にまとめる働きをしたのかもしれません。父はスサノオノミコトですから八重垣の系列であり、「のん」役のヲヲモノヌシは甥にあたります。この神が「てん」を担当しました。「のん」が言葉で述べることだとすれば、「てん」は書き写すことでしょう。「のんてん」は決まりでありフトマニともいえます。「のんてん」役が憲法や法律をきめる八重垣の臣であることはポイントですね。

ヒトコトヌシを祀る神社
〇葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)
御祭神/葛城一言主大神
所在地/奈良県御所市大字森脇字角田432

こうしてみたように「かかん のん てん」は神々が発する言霊を人に伝える手順なんですね。三人(補佐も入れると6人)で行うことで、懸かった神が本物かどうかを判断する審神者(さにわ)の役割も務めたようです。

令和のかかんのんてんを探る

このように古代の祀りの中心は「かかんのんてん」にあったのだとわかりました。ご神託を得ることです。では、令和のこの個人主義、単身世帯、人工知能の時代に「かかんのんてん」をどのように実践したらよいのでしょうか。

「かかんのんてん」の目的は、宇宙創造の神意を知りこの世で皆が幸せに暮らしつづける事です。ご神事に邪魔が入れば人々を苦しめますから、言葉の真贋を判断することは基本中の基本です。だから国のご神事としてはたくさんの審神者を置くことは当然でしょうが、今、私たちが家で「かかんのんてん」なんてできるのでしょうか。怪しい霊が降りてきたらこまりますし。そこに対処できる何かはあるのでしょうか。

あるんです。
それは「古来からの手法と現代の先端技術をうまく使うならば可能」だといわれています。古代の叡智と現代技術とのコラボで令和の神まつり「安心安全一人かかんのんてん」は実現できます。

実際の「令和の神まつり」の具体例に行く前に、そのスタンスの違いを明確にお分かりいただけるよう、まずは昭和の神まつりで成功した人の神棚を紹介します。

「欲望に忠実で、素直な成功者」が熱心に取り組む昭和的神まつり

「宮形」という形の神棚が登場したのはそれほど古いことではありません。そもそも神棚自体、お神札が登場したあと数百年後から現れ始めたという説が一般的です。流行したのは江戸時代の中頃ということですから、神棚の歴史は浅いのです。けれども、とてもいい発明であったので多くの人々に受け入れられ、ここ300年ほどの間に定着してきた形やお祀りが伝統として受け継がれているようです。

神棚のつくりかた―昭和編

神棚には毎日お祀りすることを一般的にはすすめられています。毎日お祀りできないなら神棚を設けるべきではないとまでおっしゃる方もいます。

■毎日お祀りする神棚(祭壇)
・お神札を正座をした目の位置の高さに中央に安置(仏壇は同じ部屋に設置しない)
・左右に榊(さかき、青々している間は交換しなくてもよい)
・洗米、お神酒、水(基本的には毎夕おさがりをいただき、毎朝供える)

う~ん。AI時代だというのに、神まつりは昔ながら・・・?
もちろん神棚自体はオシャレなものもたくさん出てきてはいますが、お祀り自体が毎日できるか不安。というのが、本音ではないでしょうか。不敬に当たりそうでなかなか口に出しては言えないけれどもですね。
そういう場合は、朔日・15日とか新月・満月とかイベント日などにお参りするスタイルを進める場合もあります。

■朔日、15日やイベント日のみお祀りする神棚(祭壇)
・立ってお祀りできる高い位置安置(仏壇とは向かい合わせにならないように)
・左右に榊(さかき、青々している間は交換しなくてもよい)

これならば、ハードルがだいぶん低くないですか?時々神まつりをしていると、その時の気持ちよさとかちょっとしたイイことを経験していくうちに、慣れてきて毎日お祀りしなければ気持ち悪い!ぐらいになってくると説明されることもあります。

昭和的な神棚は基本的には神社に行った時の感覚です。かしわ手を打つか打たないかの違いだけで、基本的にはお仏壇の前で行うように手を合わせてしばし「なにかしらを願う」のではないでしょうか。神棚のつくり自体がそのような所作を誘っているように感じるのは、気のせいでしょうか?

ともあれ、実際に成功者がどのような祭壇をつくっておられるのかを見ていきましょう

3億円のマグロ初セリを射止めた大間漁師さんの祭壇

平成最後で豊洲市場初の初セリは2019年1月5日に行われ、これまでの最高落札額の倍である3億3360万円という度肝を抜く金額での落札となりました。落札した「すしざんまい」では早々にお店でふるまわれたそうですが一貫あたり2万4千円にもなるというマグロに通常価格でありつけた人たちはお福を分けてもらって幸せそうでした。平成最後のお祝儀と、豊洲市場が繁盛するようにとの初セリご祝儀を合わせての落札だという社長のお話でした。

そんな初セリ市場で、最高値をつけたマグロを一本釣りした大間の漁師、藤枝さんは「苦労して釣った魚だから、十分味わって食べてもらいたい。」とテレビインタビューに答えてコメントしていました。
孫にもお小遣いを奮発しないとな、と言っていた藤枝さんは、手元に残った1億7千万ほどで、家を改築したり船を修理したそうです。

テレビ取材の中でよく見かけたのが、自宅の神棚にお参りする姿です。

まさに「祭壇」ですね。漁師という仕事はつねに命と向き合うお仕事だと思います。魚という命であり、波と戦う人の命です。そしてまた、賭けの要素が色濃いお仕事でもあるようです。そこに魚がいるかどうかは魚群探知機など駆使してもなかなか大変なようです。まさに神頼み要素が強いお仕事かもしれません。特にマグロ漁は「一獲千金」ともいわれる漁だそうですから、神様のご加護を得るからこそ安心して仕事に勤しむことができるのかもしれません。

3億円越えという日本中を騒がせた初セリ最高値マグロを釣り上げた藤枝さんの祭壇を拝見すると毎日丁寧に祀られていることがうかがえます。正座をしてお参りできるようになっています。まず、目につくのは宮形に入りきらないお神札がズラッと5体ほど並べられていることです。そこに洗米や塩、お酒が供えられ、すぐ横にお鏡餅が見えます。まだ鏡開きの前でしたからね。その外側にには「宝船」が両脇に見えています。獅子の面もあります。そして、なんと青い敷布の上に見えるのは「般若心経」のようなお経と数珠ではありませんか。

藤枝さんが漁に出ないとき、毎日何を願っているのかはわかりません。おそらくは大漁をねがい、家族の無病息災を願っていらっしゃるのかと想像しますが、願いは聞き届けられているようです。「マグロ一尾で3億円」というドリームをかなえた藤枝さんの船に神風が吹いたことは違いないですから!

R40シングルマザー自分で家を建てた自営女性の神棚習慣

1970年以降、マーホームを建てることは多くの新婚夫婦や子育て世代にとっての夢の一つではなかったでしょうか。それまで暮らしてきた大家族制のなかで100年ぐらい暮らしてきた古い家から独立して、アメリカンカントリー風、南フランス風、地中海の風が似合いそうな家、森の中の別荘みたいな家など、あこがれの家を自分たち家族でつくるために、30年以上のローンを組んででも手に入れたい夢でした。

30年以上のローンが組める理由は、建て主が返済を滞らせることはないだろうという信用をもとに銀行の融資が付くからです。信用調査で重要なことは「信用ある会社に勤続し続けられる人物か」ということでしょう。個人事業主であるとか、女性であることはとっても不利な要素になります。シングルマザーという点も仕事の業態によっては融資を受けるにはマイナス要素です。土地など資産もない、資産を共有する配偶者もいない、会社にも属さないという場合クレジットカードを持てないといっていた友人がいましたが、住宅ローンという多額の融資を受けるには大変ハードルが高いとみていいでしょう。

けれども、それを実現した女性がいます。仮にSさんと呼びます。
お仕事は美容・健康機器の販売です。全国でもTOPクラスの成績だそうですから、相当な収入を得ていることは確かでしょう。お店を発展させたいと頑張って遠方への出張もいとわない生活をつづけた結果、二度の離婚を経験していますが、Sさんは一人息子を近くに住む実家や妹の協力を得ながら育てています。

彼女はお店を始めるにあたり、成功している先輩の行動を全てまねたそうです。朔日、15日には神社にお参りする。もちろんお店や家には神棚をお祀りする。盛り塩を玄関やトイレに置く。疲れた時は音叉でカラダのチューニングをするなど。美容や健康を取り扱う人ははやり体のことには敏感です。あと、トイレ以外も定期的に業者さんに依頼して家をクリーニングしています。
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Sさんの神棚は一般的なご家庭にあるような宮形です。でも、二段構え!下の段に熊手や俵が飾られています。
サロンにもシンプルな神棚が祀られています。
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お二方の成功者の祭壇で共通することはというと「神まつり」を大切にしているということは間違いないですね。細部は一般的に言われていることと少し違っています。ただお二人とも「良いとされるもの」「運が良くなるもの」に対して貪欲で、そしてとても素直に実践されているんだな、と感じます。「そんなもので運が良くなるなら世話ない」などと言わず、素直にうけとり、目の前の仕事に一生懸命尽くすという姿勢で共通しています。いずれも神棚を神社と見たてる「昭和的な神まつり」というところも同じですね。

以上昭和の神棚を見てきましたが、さて、当サイトで探求するのは「令和的な神棚づくり」です。
これまでの神まつりとはスタンスが全く異なります。ご神事の本質は「かかんのんてん」です。神社の中核はここにあるわけですから、私たちが家に神棚を置くときはこれをぜひとも意識したいです。神棚は神社の形をマネをして拝むことに意味があるのではなく、現代版「かかんのんてん」を家で安全に再現する場だというように認識をかえましょう。

では、具体的に神棚をどのようなしつらえにしたらよいのでしょうか。

等身大の自分を知る鏡「令和の神棚」

神棚は小さな神社ではありません。神棚を神社と見立てた昭和的な神まつりは、高いところにおいでになる神様に「私たちの願いを叶えたまえ」と拝むものでした。また日々のなりわいを与えてくださっていることに「ありがとうございます」と感謝を述べるものでした。けれども、令和の開運スタイルは、神棚に拝みません。
神棚に向かって「~して下さい」というのではなく「~します」と意志や意図することや宣言をします。

例えば「パワーをください」というのではなく「朝通勤で一駅歩き、朝日のパワーチャージします」
「家族を今日一日お守りください」というのではなく「家族が今日一日元気に過ごせる朝ご飯をつくって送り出します」
「今日の商談が上手くまとまりますようにご加護をください」ではなく「十分な準備を行い、相手方と和やかに会話をすすめて商談をスムーズにまとめました」
というように、自分の意志や、望む結果をあらかじめ意図したり、そのために自分ができることを宣言します。

拝むのではなく、宣言する理由は物事に対して自分が主体的に関わることができるからです。神棚に向きあうことは「神様のいうとおり」になることではなく、「自分自身の言(こと)のまま」にすることです。毎日神棚に向かって「自分の言のまま」にしたら結果がいろいろと顕れてきます。結果が顕れないとき、それは「等身大の自分」ではないと理解できます。「等身大の自分のいうとおり」にしたら願いはスッと何の抵抗もなく時間差もなく叶います。あまりに自然な流れの中で叶うので、後から気づく神心といいますか。不思議なものです。

毎日神棚に向き合って「意宣る(いのる)」ことを続けるとだんだんどんなことが「自分の言のまま」になるのかががわかってきます。叶うことと叶わないことがあることもわかってきます。そうするといつしか「等身大の自分」が顕れて、100%満足して気持ちよく生きることができるようになるということです。

神棚に向かうとかしわ手だけではなく、つい手を合わせて拝んでしまいますから、神棚のつくり方に少し工夫が必要です。

かしわ手を大切にする令和の神まつり

かしわ手は、神を降ろしたり、あげたりする合図ですので神まつりには欠かせません。手を合わせる合掌スタイルは、仏教では12種類もあったりします。右手は仏様の世界、左手は私たちがいる世界であり、手のひらを合わせることで「統合」や「和合」してあらわれる世界があるとされます。合掌とは、こんな世界が顕れると良いなということを願った仏教のお作法です。

白川伯王家のお作法の中に、神様に向き合う時「長い合掌」というものはありません。「拍手(かしわで)」は10種類ほどあり、「拍手あるところに神は宿る」といわれます。心身に英気を養ったり、祓い清めるという効果など様々な目的で拍手が打たれます。打って場をムスビ、開いてすべてを創造すると考えられています。

かしわ手が場をつくる。こんなことをベースにしつつ、実際の神棚をつくります。

「神様の言うとおり」から「自分の言のまま」にする神棚づくり

「神様の言うとおり」になっていた自分が、神様と同期して「自分の言のまま」の世の中が顕れるとしたら、すごくうれしくないですか?

わが言のままにするポイントは「祓い」です。自分の心身の罪穢れを祓い落とさなくては「神様と同期」はできません。神様の世界へログインするパスワードは「ちゃんと祓われているか」ということ。だからこそ、古神道では「祓いに次ぐ祓い」といわれるのですね。

火打石を打って祓い、拍手で祓い、祝詞をあげて祓う・・・というアナログな祓いが昭和までのものです。けれども、昭和と比べても何十倍もの情報量を消化しなければならない現代は、アナログでは対処しきれないともいわれています。生きているだけで穢れが溜まるという状況にある現代の「神様との同期」できる神棚について考える前できること、場所浄化についても整えたいです。

場に結界を張る

家を神社として機能させます。神棚はそこにお祀りするお神札を、神様の依り代していただく場です。邪魔が入ったり、呪詛されたりしないよう、場は厳重に守らなければならないというのが慣例です。ですから、通常仏教や神道の修行の場合も、しっかり結界を張ったお堂や道場などで行うことを勧められています。そこでいったん消毒シャワーを浴びるような感じになりつつ、部屋自体にも結界を張り、無菌室に入るというイメージでしょうか。そのうえで、神棚の前に座り祝詞をあげると、人に貼りついた罪、穢れもかなり祓われそうです。

自宅に結界を張るなんて、結構大変に思えますが。。。実際はどうなのでしょう。古代から現代にいたる結界の張り方を見ていきましょう。

■お社(家)全体の結界
原初の時代には門衛として「クシマド・イワマド」、周囲の垣守として「イクシマ・タルシマ」、家の内部に「イカスリ」の神々を配置しました。
・門には門松を、垣には真榊を植え、イカスリノカミを家の中(柱の下)に祀る
・玄関にしめ縄を飾ることで、家全体に結界を張るという意味を込める
・玄関に盛り塩を置く
・香を焚きしめる
・さまざまな周波数・電磁波に対処できるアイテムを適所に置く

■神棚の部屋のしつらい
・御神符を八方位に貼る
・祓い祝詞をあげつづける

上記のなかで抵抗なくできることを行い、家や部屋に結界を張り巡らせて、家を神社のような場にします。

現代にあった技術を採用して土地の磁場を改善するアイテムを使用すれば永久に自動的に働きます。祓い言葉を上げ続けるなんてことは、実際には不可能です。もちろん自分の声を録音しリピートさせればよいです。ただ、人の声にはなんらかの感情が紛れ込みやすく、その感情が良いものであれ、悪いものであれ周波数として紛れ込むといいます。そういうものは雑音になるので、機械音(ボーカロイド)での祓い言葉が適切なのです。ボーカロイドでの祓い言葉を何倍速かに早めて効果を高めたうえで、無音で流しつづけることで、場に結界を張ることができると言われています。
q? encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=4763136666&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format= SL250 &tag=ama92k 22 - 古代祭祀の現代版ー人生を切り開く”令和的”神棚づくりで福を呼ぶir?t=ama92k 22&l=am2&o=9&a=4763136666 - 古代祭祀の現代版ー人生を切り開く”令和的”神棚づくりで福を呼ぶ
こうして場を整えることで準備ができたらいよいよ令和の神棚づくりです。

だまって座ればスッキリ祓える神棚

「黙って座ればすっかり祓える」なんて言う全自動アシスト神棚が望ましい!
そんな神棚は可能なのでしょうか!?自動的に聖域をつくるために結界を張ることは基本となります。そのうえで次のようなものがあると祓いが進みます。

■榊を置く
榊は神様の依り代として古代から伝わりますが、左右に配置することで「クシマド・イワマド」という門を守る神を配置することになります。邪や魔が入りこむのを防ぎます。国守りは「八重垣」と言いますが、とにかく幾重にも重ね重ね結界を張るということですが、ボーカロイド祝詞だけでも良いとのこと。

■玉を置く
天の岩戸開きの神まつりの際にも登場していた「玉」とは、宇宙の核心であり、わが身の中にある核心です。白川伯王家では黒曜石でつくられた玉を使用しています。祓われたものを吸い取る効果もあるということです。
できるだけ新円に近く、真っ黒な品質の良いモノものを選びたいです。品質を問わなければ50㎜玉ぐらいのもので5,000円ぐらいからあります。

■神鏡を置く
天の岩戸開きの神まつりの際にも登場していた「神鏡(まふつの鏡)」とは、その人の本性を映すとされる鏡のことです。これを置くことで、等身大の自分を映し出すことができます。このことの象徴として神社拝殿に神鏡が飾られているのを見かけますね。自祓いや鎮魂する際にわが身を映し出せるのでやりやすいですね。こちらも神具店などで1,000円台から手に入れられます。良い黒曜石が手に入れば、神鏡はなくても大丈夫です。

宮形があればお神札をホコリから守ることはできますが、絶対必要なものではありません。正座をするか立って行うかを決めて、神棚の高さを調整します。手が届かないような、あまりに高い位置だと、等身大の自分を知る力が弱くなります。

以上が令和的神棚です。お神札をこの台にお祀りします。
お祀りの詳細はどうなっているのでしょうか。

令和の神棚でのお作法

神棚という祭壇の前に座り、「かかん のん てん」して等身大の自分と向き合います。
どのような手順で行うかは自由ですが、私の場合を一例として書いておきます。基本的には白川伯王家のお作法になります。

「かかん」-神様をお迎えする

神様をお迎えする降神とは「かかんのんてん」の「かかん」の部分です。

■神さまをお迎えする―正座の場合
・右足の親指を左足の親指の上に重ねて正座をする
・床に手をついて深く一礼。その時両手で三角をつくるカタチになるようにする
・体を起こし、自分の顔の前あたりで一拍手
・次に鳩尾(みぞおち)のあたりで一拍手したあと、同じように一礼
・右手の親指を左手のひらで包み、右手ののこり4本は自然に左手の甲をつつんで脚の上に置く

■神さまをお迎えする―胡坐、椅子に座る、立って行う場合
・両手のひらを両太ももにおいて一礼
・体を起こし、自分の顔の前あたりで一拍手
・次に鳩尾(みぞおち)のあたりで一拍手したあと、同じように一礼
・右手の親指を左手のひらで包み、右手ののこり4本は自然に左手の甲をつつんでへその上に置く

ここまでが、降神の祀りです。ここから祓い祝詞を奏上します。

「のん」‐祝詞(のりと)をあげる

祝詞奏上が「のん」にあたります。ですから、降神した神が、わが身に対して祝詞をあげるイメージです。祝詞を奏上できない場合は、ボーカロイド祝詞を流したまま(無音でもOK)、聖黙をまもります。目は半眼です。目はつむらないように気を点けます。この時、祝詞を見るか、祭壇の玉や鏡を見ます。雑念がわいたらそれは次々に「祓われた」ものとします。

■祓い祝詞奏上
・右手の親指を左手のひらで包み正座した脚の上に置く
・祝詞を奏上する
・終わったら最後に床に手をついて一礼

「てん」‐いのりを発する

「てん」の部分でその日の私が姿を現します。つまり、等身大の私が、どういうことを意志するかというところです。等身大の私=いのりとなって少しのずれもない時、魂は一点に定まります。そうすると物事がゴロっと動きます。

神様にお戻りいただくまでは、私の声を通じて神様が祝詞をあげていて、そしていのりまで神様と同期した私ののままです。だから等身大の私とは、いのりのスケールと比例しています。そのいのりが「自分」のため、「家族」のため、「地域」のため、「日本」のため、「地球」のため、「宇宙」のためなのかで等身大の自分のスケールのミカタは変わります。
ただ、「全宇宙に私の愛がとどきます」というような大きなスケールのいのりも、自分や家族が愛に包まれていなければ等身大の自分とはズレがおきて、いろいろな感情にさいなまれるため逆に重たくなります。重くなれば神様とは波長が合わなくなるので、いのりは通じなくなるという仕組みです。いのりは軽やかなのが良いとされます。

■いのり、そして神様におもどりいただく
・祝詞奏上を終えて一礼しているときにいのる
・体をいったん起こし、二礼する
・胸の前あたりで二拍手して神様にお戻りいただく
・一礼し、すべて終了

”令和的”神棚づくりで福を呼ぶ

「かかんのんてん」する令和の神棚は、とてもシンプルです。ワタシがワタシになる場所です。私がいないままに「お願い」すると「かみさまのうとおり」です。その神様は本当に正しいのでしょうか?「〇〇主義」「〇〇教教祖」「テレビなどの様々な情報」という神様に翻弄されないためには「ワタシがワタシとしてワタシ100%」を知らなければ。その最初の一歩として、神社でいただいたお神札を100%活用するということを考えたいですね。自分自身を100%活用できれば人は幸せと感じます。福がやってきます。

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