【家相の由緒】古代縄文の叡智と先端科学で地震や想定外の天災に対処する家相で「富としあわせ」を手に入れる家づくり

先進的家相

家相によって「金運を上げたい」と考える人も多いですね!完璧な家相で家を建てると、プライスレスな人生を得られるなら万々歳ではないですか!?

体系化されて、固定化した家相・風水には、膨大なデータの裏打ちがあることは確かでしょう。でも、本当に書物に書かれている情報だけで、現代の地球環境や国際情勢の変化に対応できるのでしょうか。「想定外」の天災などが起きている今「過去のデータ」がどれほど今や未来に生かせるのでしょうか。

逆に言えば、現代のスピードや変化に対応できる「家相・風水」でなければ意味がないと思いませんか?そのような観点を踏まえて、あらためて「家相で幸せになる」家づくりを考えていきます。

お金がたまる「家相」の原型は縄文時代にアリ

「家相」がいつ、どのようにして生まれたかは諸説ありますが、記紀原書とわれる古文書『ホツマツタヱ』の記述によれば、その原型が「みやつくりのり」にあると読み取れます。

今「神」とあがめられる方々が活躍する時代、八重垣の臣(大物主)の治める出雲ではソサノヲ命の威光をうけて、オオナムチノミコトが繁栄の国を築き大社を立てていました。それを見たアマテルカミの孫ニニキネ命が独立し初の宮をつくるその時に、国を大きく発展させたいと考え、当時の大物主であったソサノヲ命の孫(のちのオオクニヌシノミコト)に宮つくり則を「ふとまに(神法のようなもの)」に組み入れるべく依頼したのでした。

その宮つくり則こそ、家相の原型とみることができます。
宮をつくる際の大切なご神事として棟上げの際の儀式が取り上げられていますが、その際に棟梁(匠)が「天地に開く家に神あれば、災いは遠のき、家の主は長生きをする(あめつちの ひらくむろやの かみあれは ゑやはよわかれ ぬしはなかかれ)」三度唱えた後餅投げをする、というくだりがあります。詳しくはこちら

そのことからわかることは、棟上げの際に、家に神を下ろし
・宮(家)は天地をひらく場であったこと
・神を迎えて災難をよわくすること
・神を迎えて家の主は長生きすること

それらを棟梁が3回にわたり言上げ(ことあげ)した、ということです。棟梁は神主のような役割を担っていたのですね。今は少なくなってきていますが、日本家屋の上棟式は、大国柱の小屋裏に神様をお祭りする儀式だったのです。

始原家相の発祥地は国つ神が治めた”出雲”

出雲は当時として中央政府をしのぐほど穀物などの富をためて繁栄し、天を仰ぐ大社(おおやしろ)を打ち建てていました。病がなく、田畑からの収穫物は豊作で人々は豊かに暮らし、飢えることがなかったのです。

(国譲り物語として有名な国替えが起きたのは、栄華に驕りタカマ(中央)をも恐れないオオナムチの振る舞いから「反逆」とみなされたことが語られています。国替えでオオナムチは津軽に赴任しました。)

出雲にならい繁栄を築く「宮つくり則」を取り決め、天孫ニニキネの時代に国の人口が爆発的に増えました。国の屋台骨をつくった守り神として、2代目大物主は「大国主(ヲコヌシ)」という讃え名をニニキネから与えられました。大国主命といえば、福の神として有名ですね。豊作を呼ぶ神であり、家の造りによって盤石な国づくりを行った金運の神です。その名をとって家をて建てる際に重要な中柱を「ヲコヌシ柱(大国柱)」というようになったとか。

現在の家相本のなかで、大国柱のことを述べるものをあまり見かけません。かろうじて家の中心を吹き抜けや階段にしてはいけないというものがあるぐらいです。神々が躍動した縄文時代からの伝統として「天に開き、大地に開くみや柱(大国柱)」は、最も重要な家相の要素だったと考えられます。

ここで単に「家相」という時は、中国思想を取り入れた陰陽道における家相ではなく「元祖・家相」の事を指します。

完璧な家相とは「神が降臨する家」のカタチ

家相の背景には日本人の心の奥底にある「八百万の神々への畏敬の念」があります。国治める為政者が、その権力を一手に握り、国と一族の安泰を願うために施した風水とは「支配のための地政学」なのでしょうが、その点、縄文時代の家相の考え方は「神への畏敬」そのものです。神様の意図に素直に従いたいとねがって体系化されたのが家相なのでしょう。その点で、家相と風水は全く異なっています。

天から降ろされた建築法

「神々への畏敬の念」とはつまり大自然は正しく、その在り方に寄り添っていく生き方をしているのが多くの日本人だったし、今も生き絶え絶えながらもそうした心象は残っています。

昭和の中頃ごろまでの家には家のいたるところに神様がいました。「かまどの神」「火伏の神」「水屋の神」「便所の神」「太陽の神」など。梁や柱にお札が貼り付けてあったり、大国様が額や木彫りで座敷、水屋などに鎮座されて、床の間には天照大神の掛け軸がかかっていました。神棚には氏神様がいらっしゃいました。

「神々が降臨する家」は戦後急速に消えていきました。家相本も、政策意図に触れないものが生き延びたという面があります。家相の重要ポイントの一つである「鬼門」のみが残っているという状況ですが、それすらも「迷信」と取り合わない住宅業界があります。

大国主命(おおくにぬしのみこと)は、父オオナムチノミコトが初代大物主を務めている際の「事代」を拝命していました。神々の声を代弁し、人々に分かるようにする能力が際立った方で、これにより様々な「則」を取り決めていったのです。「宮つくり則」は、天から降ろされた建築法だったわけです。

そうした建築法は、一部は家相の知恵として残っています。途中、中国から陰陽五行思想や易学などを取り入れた陰陽道による家相方位のなかにものこっている「土公神」「鬼門」などは、その一つです。

天から降ろされた建築法、家相で家づくりをするならば、どんなことが取り入れられるでしょうか。

神々に降臨していただくために「家相」でやれること

家を新築する際には「天から降ろされた古来の建築法を取り入れたい」と考えた場合、どのようなことができるでしょうか。参考にするのはこちらの記事です。それと高島暦「家相の図」を参考に現代の家にできることをとり上げていきます。

■ 鬼門・鬼門線上・北西(乾)にトイレ、洗面ボウル、浴槽、流し台を置かない

■ 鬼門に門・玄関を置かない

■ 建物はできるだけ出っ張りや欠けのない四角い形にする。「程よい張り」が吉なのは北西・南東

■ 西・北西の部屋に神棚を置き、毎年年末の大祓いの際にその年のお神札を納め、新しいお神札をいただくといいです。

■ 地相を整える→参考記事

■ 地鎮祭(ぢちんさい)
家を建てる時、更地になった建設地で行う「とこしずめのまつり」です。どの神社でも依頼すれば神主さんがおつとめしてくれます。見積もりの際に地鎮祭を行うことを伝えて予算に組み入れることができますし、その場合は建築会社が手配をしてくれます。

■ 中柱、4隅の柱の下にイクシマ・タルシマ神(イカスリ神社など)を祀る(基礎を打つ前にその下に砂を撒く)

■ 在来工法の場合は、中柱(大黒柱)に家を守るトシノリ神(香良洲神社・水無神社など)をまつります。面で家の耐震性を持たせるモノコック構造の場合は、小屋裏の中ほどにまつります。神主さんを呼ばない場合でも、内々で上棟式を行いたいですね。その場合大工の棟梁にお札を託します。(あめつちの ひらくむろやの かみあれは ゑやはよわかれ ぬしはなかかれ と祈る)

新築する場合ではなく、既存宅の場合でもできることはあります。

今住んでいる家に神様を召喚する方法

今から新築する場合は、地相・家相の面でできることはたくさんありますが、すでに建ててしまった方にもできることはあります。

■ 地相を整える→参考記事

■ 鬼門・鬼門線上・北西(乾)にトイレ、洗面ボウル、浴槽、流し台がある場合は、毎日キレイに使用し、中和アイテムを置く

■ 鬼門に門・玄関がある場合、玄関前をきれいに保ち、鬼門の神が宿るための木を植える。

■ 西・北西の部屋を清め、神棚を設ける

今すぐにでも簡単にできることは、上記のようになります。

ところで、「家相」は地震が多発する国日本で、今後も対処できるのでしょうか。

地震が来たら変化する「地相」「家相」

新型コロナ禍の真っ最中にある地球ですが、豪雨災害、山火事、熱波、寒冷波など、かつて例を見ない天候不順が次々と現れています。

季節を愉しむ日本家屋から気候に耐える高断熱高気密住宅へ

少し前の日本家屋には「神々が宿る」と言いましたが、当時の家は今とは違って隙間風ビュービューで風通しがよく、夏には良いのですが、冬は寒い家でした。江戸時代には、今よりも3度~5度ほど平均気温が低かったとされていて、いまでは最高気温が40度を超えるほどまで、気候が変わってきています。

それでも小林一茶が「手に足に おきどころなき 暑さかな」と詠い、うちわや打ち水、縁台で多くの人はなんとかしのぎました。暑さに対する耐性や感覚も今とは違っていたでしょうが。

体温をはるかに超えて40度の気温はもはや「危険な攻撃」で、家も四季を楽しむ環境一体型から、身を守るシェルターへと変化しつつあります。熱中症にかからないためには、学校でも一日中空調された部屋で過ごさなければならなくなりました。

高断熱高気密住宅は、木造住宅をコンクリート造住宅に近づけるものです。ですが、湿度が高い日本でカビをや生やさないために換気をすることや調湿することも大きな課題となりました。木や紙で家をつくることは調湿するには適しています。廃棄コストが高いコンクリート造にも性能で勝る家を木でつくるというのが、現代日本の住宅です。

地震や火山噴火に耐える日本の「神社」「神棚」

古代の海は今より水位が高く(縄文海進)船での移動が多く、大風(台風)に遭って船が進まないという場面は多く登場します。また、富士山が噴火してチヨミグサが枯れてしまったことなど、災害について『ホツマツタヱ』にも記述されているところです。

当時どのように災害をしのいだのでしょうか。記述があるのは「とこしずめ(地鎮)」の件です。タケミカヅチの神は地震の神として大地のゆりしずめのための要石を授かりました。

今、全国にある神社の中でも一之宮に当たる社は、日本最大の活断層である中央構造線上に配置されていると言われています。それ以外にも多くの神社は地域の活断層の上に立っていることが多く、一般の住居が危険なところに建つことを避けつつ、祓い清めて「ゆりしずめ」の場となったり避難所となったりしました。村など地域で地震から人々を守る仕組みがあったということです。

家を建てる際の基礎には、戦前は束石が用いられていましたが、それは「ゆりしずめ」の要石でもあったのでしょう。地震の後に束石から高床を支える束が外れることがありましたが、それはある意味「免震構造」のごとく働いたのかと思われます。束石から床を支える束が外れることで、家は大地の揺れを直接受けることなく倒壊を免れることができたのです。

現在の住宅の基礎は布基礎かベタ基礎ですが、そんな風に強固に大地とつながっていないにもかかわらず、大きな地震にも耐えている古民家はたくさん存在します。(とはいえ、現在の耐震基準には合わないので同じように建て替えることはできませんが)

他にも、ニニキネは別名を「ワケイカヅチの神」といって、雷のエネルギーを、「火」と「水」に分けて活用したのでその名が与えられています。正イオンと電子が離れるプラズマの原理を知っていたのかもしれません。こんな記述の中から、災害を福に転じる手法を古代には持っていたらしきことが読み取れます。

古神道では、もともと山(神奈備、かんなび)や樹(神籬、ひもろぎ)、岩(磐座、いわくら)などに神が宿り、それをお祀りするという風習で、ご神事の際には祭壇をしつらえて執り行っていました。祭壇が常設されたのが神社です。小さな真榊を神様の依り代として神を下ろしご神事を行うようになりました。

地鎮祭を行う際は、建物を建てる土地に祭壇を設けますが、そんな風に移動式だったものが、家庭で常設されるようになったのは、世の中が物々しくなってきた平安末期からともされています。武士が活躍する時代にはその居城に神棚が設けられるようになりました。禍をよける、タマ(矢、刀、弾)をよけるためです。

一般家庭の中にも神棚を設けて、神社のような災厄除け、地震除けのような機能を持つ家が江戸時代以降広がりました。戦後、住宅産業が交流する中、神棚という存在はハウスメーカーの家から姿を消しています。

マイナスイオンがあふれるよい土地に変える「炭」のチカラ

戦後荒廃した日本の国土の農産物の収穫量を上げることを目的として調べられた、全国12000か所にわたる土地について調べた物理学者によれば、マイナスイオンがあふれる「イヤシロチ」では植物や動物が健康に育つばかりでなく、人間に良い影響を与えるという報告がなされました。逆の「ケガレチ」では交通事故が起きやすかったり、工場の生産量は悪く、不良品も多いなどの影響が現れました。

物理学者は「炭素埋設法」を発明してケガレチをイヤシロチに変える方法を編み出しました。その研究をもとに現在いろいろな会社による「イヤシロチ化グッズ」が様々商品化される中、白川伯王家のご神事を受け継ぐ七沢氏自身が技術者として開発した六角炭素は、場のマイナスイオンを旺盛にする仕組みがコンパクトにまとめられています。

・地球の地磁気が、地震などの影響でずれたり弱ったりする
・電車や携帯基地局、高圧電線のケーブルなどによりより地磁気が乱れている
・単に炭を埋設するだけでは周囲の電子を奪ってしまうため、自分の敷地ではよくても周囲は枯れる

そのような弱点を修正する永久磁石などの技術を盛り込んだ六角炭素は、現代の「要石」になる可能性があります。

六角炭素は地中に埋めても、部屋においても使うことができます。「大黒柱」と名づけられている六角炭素もあり、祝詞をチップにして組み入れられているため、まさに現代の大黒柱といえます。

縄文時代にも用いられていた炭素埋設法は、現代科学の粋を集めてコンパクトになり使いやすく進化しています。
「大黒柱」「神棚」は象徴として心のよりどころとするだけではなく、具体的に役立つ「家相アイテム」です。

テレパシー能力を使えた古代縄文人の叡智と先端科学で地震や想定外の天災に対処する

「世の中が便利になれば、人の能力は退化する」っていうのは本当かもしれませんね。ほんの500メートル先でも車をつかえば、脚力はその分退化しますからね。テレパシー能力が減退したのは、集団の共通言語ができたからかもしれないし、テレキネシス能力を失ったのは、それを支配のために使うなど悪用したからかもしれません。

いずれにしても、縄文時代の人と比べて身体的能力や脳の使い方、記憶力など、現代人はまったく及ばないわけで。人間の脳が1割も使われていないというのはそのことの証明であるかもしれません。縄文の人々が脳を100%活用していたから、1万年も平和な世界を築いてきた知恵がそこにあると思えます。

人間は科学を発展させ、空を飛ぶ技術などをもって「人間としての能力」を補完しているともいえます。現代人は車や電車がなければ遠くまで行けないし、インターネットにつながっていなければ、地球の事を何も知ることができないようになってきています。縄文時代の人であれば、常に地球の鼓動とともに生きていたのでしょうが。

「だから縄文時代に戻って人間の能力を100%生かしましょう」
ということではありません。人間が脳を100%活用できることになることは必須ですが、長年の修行や研究、鍛錬によって実現するのではなく、「現代科学によって脳を100%瞬間的に開花したうえで現代科学を使いこなす」ことを意図することを大切にしたいと思います。

自動的に人間の潜在能力を100%開く「家相」手法

脳のつかわれていない90%とはいわば潜在能力です。潜在能力を開くために瞑想や座禅などを行ってきましたが、白川神道では「祓い・鎮魂・言霊」を奨められています。

・毎日祝詞をあげて祓う
・毎日鎮魂する(バラバラになっている自分の5魂を丹田当たりに集める)
・「脳を100%活用している」という言霊を放つ

「祓い・鎮魂・言霊」は、お作法としてのものがありますが、自動化する方法もあります。それが

・祓いのデジタル化。ボーカロイド音源を流し続ける
・祓いのアイテムを配置する 

というものです。祓いのアイテムを配置することが「よい家相」の肝になります。寝ながらにして祓い清めが進み、本来動くべき脳が動き出すとしたら、ぜひ取り入れたいですよね。

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